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また三木さんが現れた。どうやら放課後に来ているらしい。いつも同じ時間帯だ。
他愛のない会話をしている最中に、きゃ、と三木が悲鳴を洩らした。
「ああ、安芸さん。今日は早かったんですね」
まだ一言も安芸さんは発していないが、僕は何気なく語りかけた。今の状況なら声を聞くまでもなく、誰かを見分けることができる。そこまで深く探ったのは久しぶりだった。封じていたことだったが、僕は昨日、使ってしまい知ってしまった。その罪悪感からか、自発的に動いていた。
「まあ、非番だったので」
「三木さん、どうせなら彼女にも聞いてもらいましょう。仮にも保安官ですし」
「じゃ、じゃあお願いします」
「写真はないんですけど――ってな感じです」
と三木さんは幾つか彼氏の特徴を挙げた。けど、それは僕が記憶しているものからは外れていた。人間の性格が数日の間に変わるものではない。
「――でしょ」
ツラツラと声に出す。穏和な口調に少し威圧感を込めた声で、僕は三木さんの彼氏の特徴を羅列させた。僕は嘘が嫌いだ。嘘をつかなければならない世界が好きではない。 でも、僕がこういった行動に出たのは、恐らく彼女の中に似通った部分を見つけたからである。
少年の時もそうだったが、三木さんも劇的に嘘をつくのが下手だ。僕が言うのもなんだが、出会って数日の人間に矛盾点を見つけさせてはいけないと思う。
「そう、名前、聞いてなかったよね。身長、体重――座高はさすがにわからないか。髪の色、生年月日、家族構成、口癖、ここまでくらいなら設定しているのかな?」
「そ、それは」
「安心するといい、僕も彼女も、君を馬鹿にしない。君は何を作ろうとしているんだい?」
僕の確信を込めた言葉に、
「小説です」
間を置いて、息をついてから三木さんは力なさげに呟いた。
「彼氏なんていません。私は小説を書くために、ここに来て相談したんです」
三木さんの告白を僕は身振りもせず黙って聞いた。彼女が扉越しの人間の行動を見抜くことは不可能なのだ。僕にできたとしても。
「もう、お気づきだと思いますけど、ここに来た理由は小説が好きだからです。散々馬鹿にされました。入り込めない世界になんの価値があるんだ、って。そんな薄っぺらいもの、って。仮想世界で物語の主人公にもなれるのに、って」
その声がごく一部のものではなく、一般論であることに僕は少なからず驚いた。僕がこれまで試みたのはシステム的なものや最終的な数値で、こういった部分を見ていなかったからだ。そういったものについて考えを巡らせていたこともあったが、永らく忘れていた。いや、逃げていたというべきだろう。
「それでも、私は好きなんです」
しかし、目の前の少女は違う。どこか僕に似ているのに、真逆の道を歩もうとしている。
――? 似ている? 何が?
「ならそれでいいんじゃないですか」
と安芸さんが言った。無責任な一言だった。が、実際の所、本気で何かをしようと思っている人間に対して、奮起させるような言葉は必要ない。そのようなわかりやすいスイッチはないのだ。決断や行動というのは、塵のような経験や記憶を積み重ね上り詰めていくようなものである、と僕は考えていた。
言葉にしてみたら当たり前のことだけど、このことを理解することは難しいことだった。なぜなら、それを理解してしまった人間は過去を見なければならない。背負わねばならない。
「あなたが好きなら、きっと」
と安芸さんは続けた。それでもやはり響く言葉がある。文字だけでなく、身振り手振りやその時々の雰囲気、心情などを含めた全てで構成されているからこそ伝わるのだ。
何か一つの現象が何かを救うという事はほとんどない。全て複雑に入り組んでいる。それを単純化しようとするから失敗するのだ。
「そうなんですよね、結局。安芸さんと竹尾さん似てますよね、同じようなことを昨日言われました。相談してから書きあげたんので、用意してきたんです。読んでもらっていいですか?」
永らく逡巡していた三木さんは、躊躇いながらも答えた。
相談、というのは僕のことだろうけど、何をしたのか、記憶にほとんど残っていなかった。残っているのは、日記みたいに事実だけだった。
はて、何を議論したのだろう?
「もちろんです。私も本はよく読むんですよ。同じ本ばっかりなんですけどね」
「じゃあ、転送しますね」
安芸さんに転送し終え、三木さんは次はと言いながら周囲を見渡した。僕がさっきから黙っているせいなのか、それとも僕に読ませることに不安があるのか、まだ彼女から踏み出すのは厳しいらしい。
「ああ、すまない。僕はそうした端末を持っていないんだ」
僕がそう言って促すと、安芸さんは転送し終えた閲覧用の端末を貸してくれた。流石、保安官だ。
「お時間もかかるでしょうし、後日でいいですか?」
いつもより数段高い声で三木さんが訊いた。声にも出やすいのか、と僕は口元に笑みを浮かべる。声を出さないようにするのは辛かった。
「よければ3時間後ぐらいにここはどうです? 私は暇ですから」
安芸さんの発言には、全く僕のことを考慮されていなかったが、口を挟める様子ではなかった。
「じゃあ、お願いします」
と言って三木さんは頭を下げた。数分ソワソワしていたが、読了まで時間がかかることにようやく気付き、
「あの、恥ずかしいので私は一旦帰ります」
きっかり3時間後、三木さんが現れた。
作品を生み出した人間が目の前に現れたせいか、粘り気のある泥のような感情が底のほうから湧いてくる。
失恋した少年が過去へ戻る能力を手に入れ、葛藤する青春ものだった。
オチは、少年が初恋の相手を本来の恋人に譲り、結局振り出しに戻るというもの。
何もかもが合わさっていた。僕の過去を直視させられたような気分だ。思いがけない形で断片を磨かされていた。まだ、誤魔化せる。けど、もうだめだった。
それは自分自身の影を弄繰り回され、地面に縫い付けられた影だけではなく衣類の隙間などからも執拗にはぎ取られたようなものだった。ただそれだけではない。その影を操り、僕の過ちをそっくり演じさせ転落手前で幕を閉じられたのだ。もちろん僕は何もできない。だからこそ――
「どうでした?」
「よくはない」
つい滑ってしまった。
「想像してみろ」
ずいぶん粗雑な言葉を吐き出し、
「何度も戻れるなんて、都合のいいものかどうか」
主人公があまりに無邪気で、あまり似ていた。
確かによくはない、と言ったが、ここまで引き込まれてしまうほど、三木さんの作品は上手かった、ともいえる。
「確かにちょっと暗い終わり方だったけど、うんうん、私は好きだよ」
安芸さんが会話に戻ってきた。それでようやくハッとした。失礼なことをしてしまった。しかし、無暗に謝っても誤解を招くだけだ。彼女がいれば、さっきもすぐ打ち解けていたし、三木さんのほうもなんとかなるだろう、と考え一先ず黙ることにした。
「ごめんなさい」
つまらないものを読ませてしまって、とおそらく続け、三木さんは走っていく。
「すまない、訂正する。三木さんの作品はよかったよ。引き込まれた。だからこそ、作品に文句をつけてしまった」
僕は慌てて付け加えた。白々しいと思われているかもしれない。かなり正直に言ったが、足音は遠ざかっていく。それでもやはり、三木さんには届かなかったようだ。
長い間僕らは黙っていた。安芸さんが今から話しますよ、というふうに息を吐いて会話が再開した。
「帰っちゃいましたよ。面白かったってことですよね?」
「ええ、久しぶりに小説と触れ合いましたからね」
「そうですか」
「安芸さん、一つ訊いていいですか?」
「いいですよ」
柔らかさがない固い声。安芸さんは少々怒っている。僕の暴言に対してというより、僕を理解できないことに腹を立てているようだった。それでも、僕がよくはない、と言ったことに対してこれから触れるのだとわかっていた。
「もしも、この小説の主人公のように時を戻せたらどうします?」
「夢のある話ですね」
と言って、和澄はクスクス笑い始めた。
「どうかしましたか?」
「私も昔は考えてたな、って」
安芸さんは笑うのを止め、思い出すのも億劫というふうにため息をついてから話し出した。
「そうはなりたくないと、思う」
「なんでですか?」
「もし、何て言い出したらキリがないじゃない。些細な事に耐えられない。そんなの、私はイヤだよ。生くんもそう思わない?」
僕は、それはそうですが、などと反論を挟まず、そうですね、とだけ返した。
「それにね、綺麗さっぱり戻すことはできてないでしょう。何もかも自分に残ります。覚えています。嬉しかったことも辛かったことも悲しかったことも全部。都合よく過去を戻すことなんてできやしないんですよ。それに――よくない言い方だけど――その不幸のおかげで、幸福になることもあるでしょう? 同じもしならそういうふうに前向きなのがいいです」
そうだその通りだ。僕はそれを声に出すことはできなかった。
話題を断ち切るように、立ち上がる音がした。
「生くん突然だけど、私ね、この世界が大好きなんだ。みんなが前を向いて、一生懸命生きている世界が」
世界を抱きかかえるように大きく手を広げ、どうしようもない肯定をする。
安芸さんが意図していなくても、それはオレ自身への言葉であった。
「悪いところはもちろんあるんだけど、きっと今まで一番幸せが溢れてる。だから私は、今が、この世界が、好きなんだ」
「そうですか」
僕の言葉が素っ気なかったからか、そう、と安芸さんは言った。その後、彼女は微かに笑って、恥ずかしい話をしたついでだからと消えかかっていた言葉を継いだ。
「私って過去が、悲しい暗い過去が嫌いなんだ。亡くなったことは確かに悲しいよ。けどね、それに縛りつけれられて、それだけになるのはもっと悲しいことだから。死とか悲しい出来事は強くなるための試練みたいに考えるようにしているんだ。だって、結局は自分自身でしょ?」
世の中、正論だけでは語れない。そういう風に物事を真正面から強くなろうと受け止めるのは難しい事なのだ。でも、そうした事を言えないほどに僕は安芸さんに魅せられていた。
「死者は語らない。死の意味を考えるのは生者で、どう解釈してもいい。だったら、いい意味で捉えたい。縛られないように、強くなりたい。私はそうありたいと考えているんだ」
二日後、控えめなノック音がまた響いた。
「三木です」
「ごめんね、三木さん」
まず謝罪から始めた。あの出来事で非があるのは否定しようもなく僕だったからだ。
「いえ、私もきちんと聞かなかったし」
いつもより声に張りがない。自分のせいだとわかる分、自然と会話が重くなる。
「想像してみろ、ってどういうことですか?」
三木さんは、単刀直入に訊いてきた。そうだ。普通、あんなことを言われて気にしないわけがない。
どうやら安芸さんは話題を逸らそうと努めていたらしい。僕も無意識に避けていたし、今日は話すつもりもなかった。
というより、話しても意味がないと考えていた。
が、幸か不幸か、今なら誤魔化すことができる。時間は経っていたが、口を滑らせ安芸さんの話を聞いたので気分も乗っていた。
「いや、僕もさ、こういう生活を続けていたら、やり直せれば、なんてことは考えないわけないんだ」
三木さんに言われてというわけではなく、僕は彼女を試す意図があって話し始めた。
「だから、繰り返すのもよくはないと思うようになってね。だって――」
あきらめがつかなくなるじゃないか。
制限や規律といったものがあるからこそ、競技は面白い、という意見がある。これは僕も同意したい。それは人間の性質を捉えているような気がしてならないからだ。
自由と平等。相反する概念を掲げる生き物なのだから、的外れということはないだろう、と思っている。
もし、だ。もし、そんな枷を外すものが現れたら――そう、例えば何度でもやり直せるとすればどうだろう。
「日常の些細なことから、人生を変えてしまうような大きな事件でさえ、コントロールできるようになるんだ。神様にでもなったようだろ?」
僕は熱く饒舌に。
心の淀みを吐露し始めた。
「でもね、できないことも当然ある。けど、それを何とかしようとも思えるはずだ。何度でもやり直せるのだから。諦めればそこで終了なんてことはない。いつだって、やり直せる。もはやそれは慰めの台詞じゃない。感動的な名言でもない。悪魔の囁きさ、今度なら、次なら、あと少し、ってね。だから言ったんだ。想像してみろって」
「それは辛いことですね」
と三木さんは言った。ただの同意ではなく、彼女の心の底から出た言葉だった。
この少女の長所は賢く、それでいて優しいところだ。そして、僕が好む強さを持ち合わせている。
「ああ、辛いよ。きっと」
喋りすぎたせいで喉が焼けるように乾いている。僕は用意しておいた水を飲み、次の言葉を発した。
「前も言ったけど、別にこの作品がダメだって訳じゃないよ。こういう考え方もあるってことを教えたかっただけなんだ。作家になりたいのなら、引き出しは一つでも多い方がいいでしょ」
水を飲んだおかげで少しだけ落ち着いたのか、前半は紛れもない本心だったけど後半はそうでもない。確かに三木さんの参考になればと思ったが、彼女のためというより僕のためといったほうがいいからだ。他者との関わりを避けておいて、僕という人間の本質には触れ合いを望んでいる面がある。情けなく助けを求め、救いを渇望している卑しい魂だ。
「はい」
声に覇気がなかった。一応、真摯に答えたつもりだったけれど、三木さんは納得していないらしい。
「でも、私が言いたいのはそういうことじゃないんです」
「どういうこと?」
「私はあなたの意見が聞きたいんです。あなた自身が」
どういうわけか、ここにくる少年少女は賢い。触れられたくないところを確実に抉ってくる。安芸さんとは違った意味で、苦手だ。
もう磨ききった断片は繋がることを望んでいた。それを僕が押し留めているだけだった。あとはその手を離すだけだった。
「さっきの、僕の意見なんだけど」
「そうでしょうね。あなたは嘘を言いませんから」
ほら、目ざとい。ったく、きちんと動いているらしいな。
「誤魔化さないでください。あなたが怒ったてことは、違うんでしょう? いえ、もしかするとそうかもしれません。でも、隠してることはありますよね」
「ごめんね。リスクのない奇跡なんてないんだ。あの終わり方は綺麗すぎるよ。あらゆる意味で何かが全部救われるなんてことはない」
心が落ち着くと、僕はあることに気が付いた。僕だけではなく誰でも、相手の気持ちなど本気で考えればわかるし伝わるのだ。僕は迷っている。
「わかった。白状する」
オレはね、思うんだ、
今の時代に生きている君はわからないかもしれないけれど、昔はね毎日誰かが理不尽な理由で死んでた。天災や事故、殺人。想像してみてほしい。もし君が過去に戻れるとすれば、そのような事件から目を背けるかな?
僕は暗い箱の中に浮かんでいた。
正解が、答えがない。暗中模索といったところだ。人間、明確な目標や道筋がないと逸れて止まってしまう。
僕も例に漏れずそうだった。だから止まったのだ。そして過去を記憶を消した。
でも、もう繋いでしまった。
僕はもう起動してしまった。そのことに何か特別な感情はない。だけど、まだ答えは出ていなかった。
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